さいだねブログ

あなたのさいだね(才能のたね)は何ですか?

鶴見和子(1) 感受性の発露


私は、博物学者の南方熊楠に興味を持っています。
熊楠については、ホームページの日記でも書いています。
日々これ好日↓8月23日です(興味ある方、覗いてみてください)
http://www.a-relation.com/diary/2007/08/


南方熊楠柳田国男の研究をした社会学者・鶴見和子の『南方熊楠 ―地球志向の比較学』という
本を読みました。
読み終わっての感想は、“鶴見和子はタダモノではない”でした。
まったくの直感です。
というのも、この本は熊楠について書かれたもので、鶴見について書かれたものではないからです。
しかし、読み進めていくうちに、南方熊楠を通して、鶴見和子という人物に触れている、
そんな感触がありました。


それから、鶴見和子について、私のアンテナは四方八方に張り巡らされました。
アンテナを立てていると、ちゃんとひっかかってくるものです。
私の大好きなテレビ番組のNHKアーカイブス映像ファイル『あの人に会いたい』に鶴見和子が登場しました。
本当に会いたい人に会えました!タイトル通りです。


『あの人に会いたい』についても4月23日の日記で書いています。
日々これ好日↓(お時間ある方、覗いてみてください)
http://www.a-relation.com/diary/2007/04/



『あの人に会いたい』の中で、鶴見和子はこう語っていました。


(鶴見は、77歳の時倒れ、脳出血で左半身不随に)
わたくしは、倒れたことを今とっても感謝しているんです。
あのまんま突き進んでもね、枠の中に閉じ込められてね、それで終わっちゃったと思うの。
だけど、なんかすごく自由になったの。体が不自由になったことで、魂が自由になったの。


(鶴見は若い頃、短歌の歌集を出版。短歌をやめ、米国に留学、その後、学者として研究の道に進んだ)
自分が倒れて、死ぬか生きるかの瀬戸際になった時、急に体の底から吹き上げてくるのよ、歌が。
歌を歌いたいのに抑えてたんだと思う。
それとともに感受性にもフタをして、理屈だけの世界に生きようと思っていた。
それはすごい愚かなことなの。


生死の境目が、歌という鶴見のさいだねが溢れ出した瞬間でもありました。
歌が一晩中溢れ出てきたおかげで、言語感覚を失わなかったとも語っています。


歌を歌うことが、鶴見の感受性の表現方法のひとつだったのでしょう。
感受性の発露だったのでしょう。


その感受性にフタをすることが、愚かなことだと気づくところが、この人のすごいところでもあります。


年齢を重ねていくと、導かれるように人生の核心にたどり着く。
経験を重ねていくと、自分の愚かさを、サラッと語れるようになる。



体が不自由になることで、魂が自由になる。
こういうことなのですね。



魂が自由になることで、さいだねが自由になる。
そう思いました。


そして、私も自分自身の感受性を大切にしたいと思います。

そして、誰もが感受性にフタをするなく、人生を送れることを願っています。