映画『めがね』〜 ここにいる才能
荻上直子監督映画『めがね』を観ました。
http://www.megane-movie.com/
昨年の『かもめ食堂』がとてもステキな映画だったので、今回も期待大。
お時間のある人は、日々これ好日の
『フィンランドに日本人の優しい時間が流れる“かもめ食堂”』も読んでみてください。
http://www.a-relation.com/diary/2006/04/post_96.html
『めがね』は、私にとって、期待以上の映画でした。
小林聡美、もたいまさこの二人は、いつもどおり何とも言えない良い味を醸し出していました。
そこに、加瀬亮がさらに良い塩梅に風味付けしていました。
『かもめ食堂』でも感じたのですが、荻上直子監督の映画は、
五感はもちろん第六感にも響くものがあります。
これからこの映画を観ようという人もいると思いますので、詳しくは書きませんが、
この言葉が第六感のキーワードのように感じました。
「・・・来た」
ご覧になった人には、わかってもらえると思います。
何が、私にとって期待以上だったのか?
それは、さいだねの映画だったからです。
迷わず宿にたどり着いたタエコに、宿の主人ユージがこう言います。
ユージ 「才能ありますよ」
タエコ 「 ? 」
ユージ 「ここにいる才能」
この映画に出てくる人物たちだけでなく、
私たちは、ここにいる才能、その場所にいる才能というものを持っているのだと思います。
「いる」「ある」「存在する」という才能。
タエコは、南の島に来てはじめて、その南の島に「いる」というさいだねが開放されたのです。
私たちは、まだ行ったことのない場所で開花するさいだねを秘めた存在。
そして、今現在いる場所に「いる」ということは、今いる場所で才能を発揮しているということです。
「いる」こと、それ自体が才能。
そういう視点に立つと、「存在する」というだけで、とてつもない才能なのです。