さいだねブログ

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鶴見和子(2) 内発的発展論とさいだね

社会学者の鶴見和子
私の中では“気になる人”の上位にランクインしています。


昨日に引き続き、NHKアーカイブス映像ファイル『あの人に会いたい』での
鶴見和子の言葉を取り上げていきたいと思います。



鶴見が水俣病(の研究)で得た教訓は、

“人間は自然の一部である”。
だから、人間が自然を破壊すれば、人間自身を破壊する。


鶴見は、経済的成長でなく、人間の成長を究極の目的と考えました。


“人間は自然の一部である”

―そういう理屈は頭ではわかっていた。
本当の自分の実感としてわかっていたかというと大変に疑問。
わかっていなかったと思う。
自分が倒れて半身不随になって、初めて幾分か、つながった。
近づけたという感じがしたの。
だんだんと感じるようになってきたの。


生前の鶴見和子を知らない私が、このNHKアーカイブスや本から知り得る鶴見和子という人は、
竹を割ったような性格を持ち合わせていると思います。
そういう特性が現れた言葉のように感じられます。
過去の自分と今の自分の違いを認める潔さ。そこに魅力を感じます。



鶴見は、人類にとって発展とは何か?ということ追求し続けました。
それが、鶴見の“内発的発展論”です。


すべての人が、自分の中に埋蔵資源を持っているんです。
その埋蔵資源はを深く掘りあげて、それに新しい形を与えていく。
それが創造というものなんですね。
どんな場合でも、人間は死ぬまで創造することができると思うんです。


内発的発展論と聞くと、なんだか小難しい学問のように聞こえますが、
言ってることは、難しくありません。

おこがましいとは思いますが、言ってしまいますね!


私がこのブログでテーマとしているさいだねと同じことではないでしょうか。


自分の中の埋蔵資源がさいだね
さいだねに新しい形を与えていく。
人間は存在する限り、さいだねに命を吹き込み、創造できる。


人間は自然の一部であって、人と自然はつながっている。
と同時に、
人間は人間の一部であって、人と人はつながっている。


鶴見和子と私もつながっています!
内発的発展論”と“さいだね”。
社会学者とパーソナル・コーチ。


表現方法に違いはあるけれど、流れているものは同じように感じます。
だから、鶴見和子という人が気になるのでしょう。