さいだねブログ

あなたのさいだね(才能のたね)は何ですか?

習慣を変えると発見がある


最近、意識して、習慣を変えようとしていることがあります。


食事のとき、ひと口50回以上噛む、です。


ひと口50回以上噛んでいると、時間がめちゃくちゃかかります!!


時間がかかるがゆえ、発見もあります。


発見1.食事を味わうことができる

 今までの味わうとは違う、味わうです。
 以前より、素材そのものの味が、感じられます。


発見2.ひとつひとつの食材のことを思う(考える)時間が増える
 ひと口50回以上噛みますから、自然と意識が、その食材へと向きます。
 旬や調理方法だけでなく、どんな人が、どんな思いで作っているのか・・・想像します。
 思考がぐ〜んと広がります。


発見3.食材のかたさ・やわらかさが実感できる

 野菜とお肉の違いを思い知りました。
 お肉は、50回噛んでもそんなに形状が変わりません。
 草食動物のヤギさんのように、上下の歯をすり合わせたくなります。
 あまり噛まずに食べていた今までは、胃に負担をかけていたことがわかりました。


発見3.早い時点で、満腹感を得られる(腹八分目)

 コレ、文句なしに、体にいいです。



意識して何かを変えると、今までと違った発見があって面白いです。


日常のなかで、いろいろ試してみるのが好きです。


小さな発見に新鮮さを感じます。


これは、わたしの小さいけれど大切な“さいだね”かな。




 

いいものを持っている


あるコミュニケーション・セミナー終了後、

担当の方との会話の中で、興味深い やり取りがありました。


講師を務めた私は、

「参加の皆さんそれぞれに、いいもの持っていますよね」


担当の方は、

「そうでしょう。英検や○○の資格とか、すごいですよね」



このやり取りに、私たちふたりの立場の違いが表れました。



私は、コーチという立場から、自然と、

その人の内にある才能や可能性に焦点を当てることで出てきた言葉でした。


担当の方は、再就職など支援する立場から、自然と、

その人が今持っているもの、資格や免許に焦点を当てることで出てきた言葉だったのです。


立場が違うと、その人の見方も違ってきます。



いろんな立場があって、いろんな見方がある。


このように、ひとりの人を見れる、いろんな目(視点)があるということが、

そのひとりの人のためにも、大切なことだなと思いました。



私は、さいだね(才能のたね)を見出し、サポートする。


担当の方は、カタチとなった才能を活かせるよう、サポートする。



サポートの仕方もいろいろあることが大切ですね。





完璧を捨てる勇気


先日、コーチングのイベントに参加しました。


創始者の二人が、アメリカから来日し、

新しくなったプログラム紹介のワークショップが行われました。


新しく定義付けされた部分や変更になった部分は、

既存のものにプラスされ、考え方・とらえ方が、自分なりに、広まったり、深まったりしました。


10年以上、英語を使っていない私ですが、

ひと言、感想というか、感じたことを伝えたい思いが溢れてきました。


そして、休憩時間、無謀にも、自分から話しかけていました。


頭の中は真っ白の状態・・・!

それでも、なんとか言いたいことを伝えることができました。


私は、以前ホテルで働いていたので、英会話が必要な仕事もしていましたが、

もともと、それほど話せるわけでもなく、その後、まったく使っていない状態です。


英会話の筋力は、完全に落ち切っています。


「文法的にちゃんと話さなければならない」という思い込みを脇に置いて、

「なんとか、伝わればいい」という気持ちでいると、

体が勝手に動いて、あれよあれよという間に、声をかけている自分がいました。


私の英語力に合わせて話してくれて、会話を楽しむことができました。


会話は、生もの。


準備が整っていなくても、気持ちだけで進んでもいいと思います。


最悪、身振り手振りもありですから。


完璧であろうとすると、何も前に進みません。


ホテル勤務時代に、培われたさいだねのひとつ

「完璧にしゃべれなくても、言いたいことは伝わる」

が、今も、私の中にちゃんとあるのを感じました。


「完璧を捨てる」勇気も必要です。


それに、日本語も完璧じゃないですから(^^;)




母の携帯電話


離れて暮らす母が、「携帯電話を持ちたい」と言ってきました。


内心、必要あるのかなぁ?と思いながらも、

母の可能性の芽を摘むのは如何なもの??、と思い直しました。


子どもは、なんでもやりたがりますが、

70歳近い母が、やりたいと言い出すことはそんなに多くありません。


母のさいだね(才能のたね)が、そこにあるような気がしました。


携帯の契約は私のほうでして、帰省したときに、母に使い方を教えました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)電話のかけ方・受け方


2)携帯カメラの使い方


3)メールを打つ・送る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


私の心づもりでは、

この3つのうち、1)ができるようになればいいかなというぐらいでした。


ところが、意外にも、2)もできました。


そして、3)もなんとかできました。

と言っても、文字変換は変になっています。

文章の内容は理解できる、というぐらいです。


1日最低1回は、私にメールしてきます。

メールの練習です♪


すると、文字の変換もだいぶん上手にできるようになって、読みやすくなってきました。


毎日の積み重ねは大事だと、母のメールで実感しました。


母は、編み物やパッチワーク、ちぎり絵など、

手先を動かす細かい作業をコツコツと続けるのが得意です。


毎日少しずつ上達していく母のメールを読みながら、

母のコツコツと積み重ねるさいだねを再認識しました。


通話ができれば、それでOK!

写真も撮れれば、さらにOK!

メールもできれば、ALL OK! 御の字です。


まさか、ここまで母にできるとは思っていなかった私。


母の可能性に制限をかけるところでした。 アブナイ、アブナイ〜。


いま、毎日の母とのメールのやり取りは、私にとっても、楽しい習慣となっています。





いい年のとり方


少し前、久しぶりに、兵庫県立美術館を訪れました。

http://www.artm.pref.hyogo.jp/


オープン当初、真新しいこの美術館は、輝いて見えました。


外観だけでなく、建物の内側から、新鮮な輝きを放っていました。




今回は、印象が違って見えました。


「なんて、いい年のとり方をしているのだろう!」




海からの雨風を受けて、壁面にさまざまな表情が生まれているように感じました。


そこには、落ち着いた大人の風格が、漂っていました。


建物自体、よい年齢の重ね方をしています。




この美術館がオープンした頃の私と今の私、いい年のとり方しているのだろうか?


この美術館のように、

日々の体験を丁寧に積み重ねて、丁寧に年齢を積み重ねていこう。







仲間たち


先週は、コーチングの仲間たちと集まりました。


5,6年ぶりの再会です。


なのに、一瞬のうちに、時間も距離も消えてなくなりました。


そんな仲間たちです。



この仲間たちのあいだには、「時間」は存在しなくて、


あるのは、「つながり」感です。


もっと言うなら、「絆」です。



年齢も、仕事も、人生のバックボーンも、それぞれです。


しかし、そんなものは関係なく、一瞬にして、安全な場を創りだせる仲間です。


大人になっても、そんな関係を築けることに感謝です。



私にとって、何ものにも代えがたい大切な関係です。






J・エドガー


クリント・イーストウッド監督作品『J・エドガー


http://wwws.warnerbros.co.jp/hoover/index.html#/home



FBI初代長官 ジョン・エドガー・フーバーの人生を描いた作品で、

アメリカの政治や歴史の背景をよく分かっていないと、じゅうぶんに楽しめないのかな、

と思っていたのですが、そんな心配は無用でした。



私としては、小学生の頃からファンのクリント・イーストウッドの作品を

これから先、一作品も見逃さずに、最後までお供する覚悟です。(頼まれてませんが…)


そんな私の勝手な思いと覚悟を裏切らない、素晴らしい作品でした。



エドガーの孤独。


誰のことも信じられない、信じようとしない、信じる術を知らない、エドガーの孤独感。


孤独の闇に飲み込まれたエドガーの姿が、淡々と描かれ、淡々と終わります。



エンドロールで、それは現れました。


映画の本編が終わったと同時に、それはやって来ました。



それは、おだやかな愛に包まれる感覚です。


クリント・イーストウッドのおだやかで大きな愛です。


おだやかだけれども、圧倒的な愛です。



孤独と愛。


孤独と愛は、切っても切り離せないもの。


孤独と愛は、人間の根源的なもの。



この作品でも、クリント・イーストウッドの愛のさいだねが見事に開花しています。



エンドロール、私は静かに涙しました。